冤罪捻出のしくみ1 [政治社会]
足利事件の菅谷さんに対して検察が謝罪した。
しかし、どうして冤罪が作り上げられて来たかという検証はまだないので、勝手ながら検証の一部をしてみたい。
まず、一つ目は、どうして冤罪が作られていくのかという過程ですが,これは単に検察の思い込み捜査がそのすべてだといえます。警察での取調べや、証拠の収集に基づいて検察官は独自の判断で起訴か不起訴かを決める。その際に十分に証拠を確認し、自供に対しても矛盾点がないかを徹底的に改めなければならないはずだが、足利事件だけではなく、他の事例でも言われるのはまったく正当な取調べとは逆の姿勢である。つまり、犯人を有罪にする為に都合のいい証拠のみ取捨選択し、検察官のストーリーに合わせて自供を作るということである。
供述調書というのは、検察官、もしくは警察官が取り調べの段階で記述していき、最後に読み上げるか、自分で読ませて記載事項に同意したら署名して判を押す。ただ、その際に異論があれば、書き直すのではなく、その部分を指摘して内容が違う部分を書き足して創られる。そう、まず検察官もしくは警察官のストーリーを書いてから、あとでここが違うと言っていると書き足すのである。
普通に読めば最初のストーリーが頭に入り、異を唱えた部分が捻じ曲げたかの様に思われてしまう。もし、何かの機会に調書を取られることになったら、最初から自分の言葉を書かせるか、すべてを書き直させることをお勧めします。その際に、自分の納得いかないことを書かれた場合にも署名を拒否すべきです。
なぜ、供述が自分の思い通りにさせてくれないのかが、重要なポイントでもある。供述に書かれることは、事実に即した事ではなく、有罪にする為に作り上げられるストーリーの追認の為だということだからです。だから、その調書を作り上げる為に強要や脅迫まがいのことを検察官や警察官がするのである。
裁判になって、供述調書の否認に転じることがあるのは事実ではない事を供述させられたからという場合が多いのは事実ではないことを供述させられたとか、脅迫的な取調べの結果であると推測できます。そうではない場合もあるかも知れないが、少なくとも自発的な供述調書であると立証し、第三者が検証するためには取り調べの可視化ということが不可欠だといえるのです。検察、警察が可視化に対して反対する事は、事実を捻じ曲げている実態を暴露されたくない為と考える以外はありません。
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